病気を患い、会社からは2カ月の自宅療養を言い渡され、50日が過ぎようとしています。療養の最初のうちは体が休まり、そのうち治るとは思っていたものの、周囲の世界は月曜から金曜までは動いています。入院時は周りが見えませんが、自宅に帰ってからしばらくすると周りが見え、独特の不安が襲います。社会保障があるとはいえ、いざなってみると、それまでの生活を普通にはできなくなっていることに気づきます。収入がゼロで貯金を切り崩しての生活になり、貯金が尽きるか自分が復帰できるかのレースが頭の中で始まります。焦っても仕方がなく、余計に治りにくくなるのですが、そこが真面目な性格と能天気な性格の分かれ目というべきでしょうか?真面目な性格の私は、胸がキュンと痛くなるのを何度も経験しました。考えていても仕方がないとベッドに横たえますが、「何を持って、保証がある。安泰と言えるのだろう?」から自問がはじまり、「自分はどこに向かえばいいのか?」という疑問が出ます。潰れそうにない勤務先にいれば、安泰なのだろうか?確かに十分な収入がある人が多いので、そう考えてしまいがちだが、最近、自分は雇われの身は歯車の人生と考えるようになりました。歯車として使えなくなったら部品の交換のように交換される。私のように病になったら一時的にパーツを入れ替えられる。歯車として生きるのは実際、楽なのです。しかし、油をささなければいけない時期、かみ合わなくなってしまう時は必ず来ます。金属のスクラップ入れのように私という歯車は捨てられてしまうのだろうか?そんなことを思うと切なくなり、不安が大きくなった際、亡き父が夢枕に立ちました。「何で歯車になろうとするの?」と私に声をかけたのです。次の日、しばらく考えてしまったが、そもそも歯車になろうと一心不乱に勉強し、学校に通ったのだろうか?良い歯車になるために研鑽してきたのだろうか?歯車でダメになったからといって、また歯車になろうとしている自分がいるのではないか?と。歯車の人生は楽だし、回っている間は安心です。回らなくなったら、どうやっても回りません。自分のこれからの人生、あり方についての探求はしばらく続き、何か明るいものを掴みかけた気がします。カードローン 一番良いところ